Minako Nakazawa

 

私が次世代まで伝えたい事

ディズニーのネイティブアメリカンの映画ポカホンタスを初めて見た時、主人公が「風の色は何色か」と歌う

そのフレーズに心を打たれました。

 

桜色を見て、うきうきする時もあれば、儚さに切なくなる時もあるし、その妖艶さにぞくっとする事もある。

自然の色って、一時も同じ色では無く変わりゆく様が、儚く又潔い。

それはまるで人と一緒、諸行無常である人の一生。

 

それでも、大自然からや、繁華街に1本だけ凛と立っている木からも、逞しさや癒しや元気をもらえたりする、その心地良いと感じる心をカラーで伝えていきたい。

そこで生きる、全ての鳥や動物、路地裏にいる猫達もそれぞれが1番いい形で生きていけるような世の中であってほしい、そんな思いを込めて。 

プロフィール

さかのぼる事2年前まで、人材派遣会社の営業マンを約10年やってました。

多くの働く女性と出会い、その方それぞれの良いとこを探し出し就業のお手伝いをしたり、いかに居心地良く就業してもらうか、企業との間を取り持つこの仕事が大好きでした。

 

子供の時から周囲の人が何を求めてるか、どうして欲しいと思っているかを自然に察知する事が出来たので、苦労無く企業とスタッフの間に立つ事が出来き、そしてなによりクライアントさん・スタッフの方々に喜んでもらえるのが嬉しかったのです。

 

逆に言えば、いつも人がどう思っているのか?そしてどう思われているか?が人一倍気になっていたんだと思います。

他人ばかり気にして自分の事、「本心」にはベクトルを向けずに、「他人軸」で生きていたと思います。

そして、その事を全く気付かずサラリーマンとしては、上手く周囲と調和できていました。

 

そんな私の波風の無い、サラリーマン人生が転職を機に一転したのは、

40代のうちに、何か新しい仕事に挑戦したい、そしてもちろんもっと好条件でという思いから。

 

そこで、見事なまでにコケました。。

立ち上げ会社に魅力を感じてその会社を選んだのですが、会社を作りあげる楽しさよりも、次々と立ちはだかる困難のほうが上回り、ストレスの塊で眠れない日々。

力不足でした

 

何とかここまではというところまでやり遂げ、逃げるように退職するも、ヘンな汗をかいたり、味わった事の無い不安感、ざわざわして落ち着かない、奈落の底に落ちたかのような、天と地が逆さまになったような、自分が自分で無いような心地悪さが一気に襲ってきました。

 

その後徐々に、どんどん眠れなくなり、いつになく悲観的な事ばかりいう私に、家族の勧めで病院へ。

うつと診断されました。

 

晴天の霹靂でした。

 

明るく快活な自分像を自分で自分に勝手に定着させていたので、まさかまさか自分がそう診断受けるとは。

そして、そんな自分を自分が全く認められませんでした。

実はいまでも半分はうつだとは思ってないのですが。。

ただ今思うと、若い時も悩み癖あったなと、人生とは?生きるとは?なんの為?と悩みがちだったな、
と思い出しました。

 

子供時代は群馬県の山のふもとで、自然満載の中で育ちました。

春のれんげ畑、夏は兄とサワカニ取り、秋は稲穂でかくれんぼ、冬は川でスケート。

からっ風にも負けず100%自然児でした。

 

高校時代に古着が大好きになり、ファッションの専門学校へ。

順調に卒業し、デザイナーとして就職するも、あれ?何かが違う、もっとクリエイティブだと思っていたのに違った、とあっという間の退職。若かった~(笑)

 

そこからの私は、どうしたら生き生きと、1日1日を燃え尽きていく何かに出会えるんだろうと、自分探し&転職ジプシーが始まりました。

 

時はバブルの後半、なぜか華やかな時代が虚しくて、国内・海外共にバックパックで旅を始めました。

 

一人で海外なんて最初は不安でしたが、それよりもそこには何かがある、そこへ行けば変われるという期待とまだ見ぬ場所への好奇心のほうが強かったように思います。

 

旅の途中で、縁あってオーストラリアの砂漠の真ん中の町のツアーショップでアルバイトをする事になりました。

接客と現地ガイドを初めてやったんですが、うわっ!楽し!と対人業務が向いている事に目覚めたりして。

 

帰国後は百貨店でジュエリー販売、インディアンジュエリーの店員、リラクゼーションサロンのスタッフ、その後、営業に挑戦し、何社か経験しましたが、一番きつかったのは投資用マンションを売る!でした。売れるまで休めませんって雰囲気で。でもその後の、人材派遣会社では、転職ジプシー経験が生きたと思います。

 

 

と、自分なりに試行錯誤しながら人生に真摯に向かい合ってきたはずなのに、

自分でも知らず知らずに無理をしていたのか、うつと言われても、自分でも何が起こったのかさっぱりわからなく、ただ心は辛く、過去の全てを否定したり、将来の全てが不安で、頭がいつもぐるぐる、体も脳の指示に全く従わず何もしたくなくなり、布団にぐるぐる巻きの日々でした。

 

 

カウンセリングを受け、そしていっその事自分でもと心理カウンセリングを学び、良い先生に恵まれて少しづつ動けるようになってきましたが、でどうしよう、この先、本当にやりたい事ってなんだろう、と。

自分の心に問いかけても何にもやりたくないし動きたくないという答えばかり。

 

焦りと不安の中、海外の友人が受けたコーチングがとてもよかったという話を聞き、日本にも何か自分にぴたっとくるものか無いか、すがる気持ちで探し始めました。

 

 

 そんな中、ちょっと独特なコーチングをされる方と出会いました。

 

 

自分が何をしたいのか?どうなりたいのか?

長くサラリーマンをしていたせいか、全くわからなかった。

 

会社の指示、上司の指示で動いていくという事が当たり前になってしまった私は、まずは自分が好きだった事と向かい合うという事が困難でした。

 

これだったら出来るかも、まだやれるかもという事はあってもやりたい事って。。何?

と自問自答の日々。

 

まず、そこから始まりました。

 

ブランディングの中で、色が好き!と浮かび、なぜ?なぜってうわっきれい‼って思う色を見るとトキメク!

そしてどうしたい?トキメク色を身にまといたい。

 

出かける気力の無い日々、色とりどりの洋服をスマホで眺める。が唯一の楽しみでした。

たかが洋服、でもされどです。

お医者さん、カウンセラーの先生や、コーチングの方のように、病気を癒したりどん底の苦しい状態から救いあげるようなすごい事ではないけど、この洋服を着てるとなんだかテンション上げる、この色見てると穏やかな気持ちになるんで身に着けてみたい、これを着て明日から又頑張ろう。

って内面を満たしてくれたり救ってくれたりする事もあるよねって思ってます。

 

私は色鮮やかな洋服やプリント柄が大好きで、あ~あ、男性受けしないよな・・とわかっていても、自分がトキメク、楽しいなという服を、誰かがどう思うとかで無く、大切な自分の為に着ています。

 

そんな私も、若い頃はモノトーンファッション全盛期で、白黒ばかり着てたんです。
が、ある日突然思ったんです、

「この世界は色に溢れている」って。

大自然の中でも道端でも商店街でも百均でも!

 

それから沢山の色が大好きになりました。

営業マン時代は派手な営業さんとして有名でした(笑)

 

 

 

初めての企画

自分の事なのに、この企画が全く進まなかった私。

このHPを作成するにあたっても、なんども出来ない出来っこないと、無償に怖くなって放置したり、

自分で企画したはずなのに本当にやりたい事だっけ??と自問自答したり。

うだうだうだうだと進まない私に「迷ったり元気がないMinakoさんのまま書いていけばいいじゃない、ありのままで恰好つけなくって」とアドバイス頂き、そっか、又恰好つけようとしちゃった、と今パソコンに向かっております。

 

でも、私でも出来るんだと、今は少しだけ自分でいいんだと思えています。

そんな私の企画や私に、少しでも興味を持ってくれたり賛同して下さる方がいたらとても嬉しく思います。

LOVE

 インディアンジュエリー

ネイティブアメリカンの文化

フラメンコ(すこしは踊れます)

タンゴの音色(いつか踊ってみたい)

映画(古いハリウッド映画からスターウォーズまで、特にダンスウィズウルブスやアバターは大好き。インド映画のきっとうまくいくは素晴らしかった!)

お気に入りのこの1枚!のワンピースで出かける事

海の見えるカフェ

 

そして、いつも人に興味深々